その日越前藩国は、とてもよい天気だった。 きっと明日も同じに違いない、そんな夕焼けに包まれた暮れ時。 いちにちの終わりに訪れる、お気に入りの場所。 少し高台にあるその公園は、もうそろそろ人がいない時間だと、クレージュは知っていた。 その理由は、子供好きなランクが、日暮れの気配をみた時点で『お前たち、明日はもっとたのしく遊べるように、今日は帰って明日の遊びを考えてきてくれ。さあさあ、日が沈むまでに帰るぞ〜!日が沈んでから家についたヤツは罰ゲームっ!…よし!、競争っ!!』と、子供たちを引き連れて帰っていくためだ。 その後彼が、集まった全員をちゃんとそれぞれの家まで、競争しながら子供を送り届け、星がきらめき始める頃にへとへとになって寮の夕食に遅刻する事も、クレージュはよく知っていた。 (そして翌日には子供たちから、罰ゲームをくらうのだ。) きっと今も子供たちと走り回っているのだろうランクを思い浮かべて、クレージュは今日も彼の夕食の確保に思いを巡らせながら、公園に足を踏み入れた。 正面に。 国中を照らす、あざやかな朱け色の光。 まぶしさに眼を細めた視界に、なにか黒い影が映る。 「あれ、なんだろ?」 輝く夕陽を背景にした、背の高いすべり台。その脇にある藤棚と、その下のベンチ。 長い長い影のなか、そこに、人影があった。 何故か気になって、そっとクレージュは影に近づく。 あまりにもきれいな景色だから、侵入するような気がして知らず知らず、そっと気配を殺しながら。 近づいてみると、それは男のひとだった。更に近づくと、赤い夕陽に溶けてしまいそうな、赤い血の流れが見えた。 思わず、ぞっと、背筋が凍る。 敏感な鼻に感じる、血のにおい。 少年がかつてよく知った、忘れられないそのにおいが、一瞬足を止めさせた。 「あー、ちくしょー…」 ふと、影が身じろぎして、ついで呟きが聞こえた。 (あ、死んでない…まって…じゃぁ、大怪我?!) 「さすがに、鋼腕剣士10人相手は無茶だったかなー」 力ない声、でも聞き捨てならない内容の呟き声に、クレージュはベンチにちかづいた。 逆光で様子がよく見えないので、結局そのすぐ隣まで行くことになったが。 「大丈夫、ですか?」 控えめに、声をかける。ひどい怪我なのは間違いないし、驚かせたくもなかったのだけれど。 手傷を負った生き物は、時にひどく攻撃的になるのを知っているから、刺激しない方がいい。 でも、この国にいる人である以上、クレージュはけが人を放ってはおけない。 「おわあ!!」 …ひどく驚かせてしまった。 だが、相手のその反応に、クレージュ自身も驚いた。 弾かれるように顔を上げ、その勢いでやわらかな犬耳が揺れる。 守り刀には手を出さない。 つい懐を探りそうになる意識を、クレージュはかわりに笑顔を浮かべて押し留めた。 にっこりと、屈託なく笑う。 「怪我をしているみたいだけど、大丈夫ですか…?この国の人ではないみたいですが…」 体を案ずる気持ちは本当だと、伝わればいいと願って言葉を選ぶ。 眼はそらさず、にっこりと。 相手は、きょとんとしていた。もしくは、ぎょっとしていた、と表現するのが正しいかもしれない。 傷ついているときに声をかけられた驚き、というよりは、それは信じられないものを見るよう眼で。 (まるで、はじめてチビクレを見た、藩のみなさまの反応みたいだ) それすなわち、UMA<Unidentified  Mysterious  Animal(謎の「未確認動物」>を見る眼である。 「えっと…ひどい怪我をしてるみたいだし、よかったら手当てをさせてもらっていいですか?」 もしかして言葉が通じないのかも、と、ゆっくりと発音してみる。 袖の中に持ち歩いているハンカチを探り、取り出して、相手の手に触れようとしたところで、ようやく反応があった。 「アンタ、…なんなんだ?」 びくり、と肩を揺らすが、そこから先の左腕は、だらりとなっていて動かない。 目つきの鋭い、戦士の瞳。 けれども、孤独の影がある。 「怖がらなくてもいいですよ、ホラ、これでボクは丸腰です。まだロクに身体改造もしてないから、素手で戦えるように人間でもない」 懐に収めていた短刀を、正座したベンチの上に置く。 相手はまじまじとそれを注視して、それから、またあっけに取られたようにクレージュを見た。 「あ、あぁ、この国に来たのは初めてだが…なぁ、アンタ、バカなのか…?」 越前藩国史によれば、後に『藩国一の大馬鹿者』と呼ばれる彼に、面と向かってバカと呼ばれた最初で最後の人物が、クレージュであるという。 そういう相手に、ふふふ、と笑ってクレージュは、今度こそしっかりと傷ついた左手を握る。 「こうすることがバカかといわれれば、ボクは最もバカになりたい者ですね。…はじめまして、ボクはクレージュ。越前藩国主、セントラル越前さまに使える者です。ようこそいらっしゃいませ、わが越前藩国へ」 まだ血の乾かない傷と、ざっと全身に眼を走らせて、自力で動けるかどうかを計る。…たとえ手を貸しても、難しそうだ。 「…とりあえず、まずは傷の手当てをさせてください。ボク一人では運べないでしょうから、人を呼びますね」 そういうと、相手は少し顔を赤らめて、プイと眼をそらした。 「クソ、国境警備の連中に難癖つけられたんでけんか売ったらこのザマだ。…オレは不破陽多、ただの不良だ。バカって言って、悪かった」 「いいえ、不破さま、それはむしろ褒め言葉ですよ」 痛みとか、そういうことに強い人なのだろう。 顔をしかめながらも、意識はしっかりしている。 「では、連絡を取りますね」 国中にめぐらされたナショナルネットに接続。ほどなくして、救護班が来てくれるだろう。 空が、藍色を帯びてきた。 しばらくの沈黙。 不破、と名乗った青年が、動く右手の親指のツメを噛む。 「様はつけるな、かゆくてたまらねぇ…あと、オレは、役人が嫌いだ。」 「そうですね、ボクも、嫌いでした。戦をする役人は、もっと大嫌いでした…では、なんとお呼びしたらいいですか?」 水道で濡らしたハンカチで傷をぬぐいながら、平気な顔をしてクレージュは答えた。 「だが…アンタはいいやつみたいだ、役人だけど」 同じ調子で言うので、一瞬遅れてクレージュは不破の顔を見る。 不破は、夕陽のせいばかりでなく、赤い顔をしていた。 「不破さま?」 「めったにいわねえ事だから、なんかみょーに緊張するな、えぇい…あのな、アンタ」 ぶつぶつと口のなかでつぶやいて。 「あのさ、なにかアンタ、困ってることはないか?オレはバカだが、なにかしてやれることはないか?礼をしないと気がすまない、なんでもいいぞ、何か言え!」 一息で言って、不破はクレージュの顔をまっすぐに見た。 (なんだか、かわいいひとだ…まるで、おっきな野良犬みたい) 「う〜ん。…ボクは別に…ただ、いま職場には人手がたりなくて…もうすぐ、戦が来るらしいからなにかとバタバタしています」 少し悩んで、答えてからクレージュはしまったという顔をした。 「いえ、でも、戦に言ってほしいなんて絶対に言ってないです!怪我をしてる方に、ボクはなんて事を…」 少年の声を聞いてか聞かずか、不破はまた沈黙した。「戦、か…」と呟いて。 そうこうしているうちに、サイレンを鳴らして救護車がきた。 ストレッチャーに乗せられながら、不破はクレージュの同乗を断り、動く右腕を上げた。 「来なくていい、これ以上世話をかけるわけにはいかねぇからな。…傷が癒えたら礼をしにいく、首を洗って…じゃねぇや、首を長くして待ってろ」 少年のあたまに、ぽふりと傷だらけの右手が乗る。そのままふわふわの髪をなでて、少しだけ、不良青年は笑ったように見えた。 そして数日後。 城門に、大声が響き渡った。 「クレージュ!!こないだのお礼参りにきたぜー!出てきやがれ!」 遠くからのその声を聞きつけたクレージュは、全速力で城内を駆けた。 門番の鋼腕剣士に、彼がとがめられる前にたどり着かなくては。 (なにせ彼は…) 国境の10名の鋼腕剣士のうち、全員に手傷を負わせ、うち8人までを当分再起不能にしたほどの男だったのだから。 そうして、越前藩国にまたひとり、歴史に残る人物が名を連ねることとなった。