『越前藩国。  この藩国の見所といえば、何と言っても桜である。  藩国民で、四季のうち春を好むものが多いのも、桜の存在がひとつの要因ではないだろうか。色は白から、ほとんど赤に近いものまで様々で、この越前ではそれらが入り乱れて咲く。  空を覆うように咲き乱れる枝も、視界を埋め尽くすように舞い散る花びらも、私たちを魅了してやまない――』 「……ふう」  私はペンを置いて、一息ついた。ちょうど、優しそうな顔のおばあさんがお盆を持ってきたところだった。 「どうぞ、召し上がれ」 「はい、ありがとうございます」  お盆の上には湯のみが一つとお皿が一つ。湯のみの中には熱いお茶、お皿の上には紅、白、蓬の三色団子が二本。と、小さな白い花びら。  思わず口元が緩む。  見上げれば、白の舞。正午の日光もあらかたさえぎられ、程よく暖かい。時折強めに肌を撫でる風も、やわらかな花吹雪を演出してくれている。  なんだか幸せだな、なんて思ってみたりする。  お茶とお菓子と綺麗な桜。丸太の椅子に手彫りのテーブルというのも、風情があっていい。こんなところに茶屋を作った人はえらい。  とはいえ。私も花ばかりに興味を向けていられるほどロマンチストでもない。花と団子なら、甲乙つけがたいぐらいには団子も好きであるわけで、迷わず団子の串に手を伸ばす。  と。  いつの間にか横に人がいた。そんなに自分はぼーっとしていただろうか。  人は二人。近いほうにいるのが奥にサイボーグ化された男性。男性は顔の下半分を鉄のマスクで覆っている。その向こう側にいるのが、犬耳を揺らす可愛らしい少年。なんとも奇妙な組み合わせだけど、そんな二人も桜の下の茶屋に座っていると思うと、なんだか絵にならなくもない気がして、おかしかった。  程なくして、おばあさんがまたお盆を持ってやってきた。二人の前に置かれたのも、私と同じメニュー。少年はマスクの男性の様子をうかがっていたけど、首肯で促され、嬉しそうに串を手に取った。  何とはなしに横目で見ながら、私もひとつ口に運ぶ。おいしい。  桜を見ながら赤い団子を食べると、なんだか桜が身体の中に広がるようで不思議な感じだった。 「――風流よのう」  声に顔を向けると、男性もこちらを見た。気分がいいまま、まんざら愛想でもない笑顔を返す。マスクで表情はよくわからないが、男性も会釈のように首を縦に動かし、返してくれた。 「旅の者かね?」  私の旅装と、今は控えめだが、大きめの荷物を見たのだろう。男性が尋ねてきた。 「ええ。国々を渡り歩いています」 「そうか」  会話に気づいて、少年がこちらを見た。笑顔と、小さくあげた手で挨拶をすると、少し驚いたような顔をして、お辞儀を返してくれた。すっごく可愛い。  しかしよく見ると、二人とも上質な衣服をまとっているようだ。ひょっとするとどこかの名家の人かもしれない。 「何か書いているのかね?」 「あ、これですか?」  私は一瞬迷った後、素直に答えた。相手が有力者なら、知り合いになっておいて損はないという、旅人としての判断も手伝った。 「見聞録です」 「見聞録?」 「はい」  眉をひそめて聞き返す男性に、私はちょっとはにかんでみせる。 「旅先の、いろんなことを書き留めているんです。荷物の中身も、半分近くは紙だったり。ある程度まとまったら自分で簡単に製本したりして」 「ほう」  感心した様子がちょっと嬉しかった。それに陽気と、おいしいお菓子で舞い上がっていたのだろう。思った以上に口が滑った。 「こう、生きているうちに見たものとかを、残しておきたくって」  言ってしまってから、変なことを言ったと気づいたが、男性はそれには触れず、桜を見上げていた。 「そうだな、これほどまで美しいものであるしな」 「ええ、そうですね。書くことは他にも、もちろんいろいろありますが――この桜という樹は、格別です」  つられて桜を見上げる。  見ていたのはほんの何秒か。視線を横に戻したとき。男性の前の団子が一本なくなっていた。 (……いつの間に?! どうやって!?)  もちろん、マスクはそのままだ。外した様子も、汚れもない。  唾を飲み込んで、男性を注視するが、団子には手をつけない。 「この国は、」  不意に声をかけられ、びく、と身体が動く。反応の大きさにいぶかしげな視線を向け、男性は言い直した。 「この国は、どうかね」 「……と、言いますと?」  むぅ、と男性は顎、というかマスクに手を当てた。そしてまた、言葉を選んで言い直す。 「君には、この国はどう見えるのか、それを聞いてみたい」 「ああ、はい。そうですね」  一呼吸ついて落ち着くと、少し考えてみた。 「一言で言えば、変な国です」 「変か」 「ええ、変です」  きっぱりと言った。 「すっごい機械化してるかと思えば、やたらとアナログなところもあるし、きらびやかかと思えば質素だし。病気がちなくせに元気だし。あげくの果てに、食料生産で武装するなんて、変にもほどがありますよ」  からからと笑ってみせる。事実であって、望まれた主観であって、気を遣う必要はまったくない。 「そ、そうか……うむ、そうだな」  さすがに男性は、(マスクで表情はよくわからないが)少し苦い声で答えた。それを見て笑った私は、きっと悪戯をする子供のような顔をしていただろう。 「でも」  木漏れ日が射して、ほのかに頬があたたかくなる。男性の向こうでは少年が、大きな身体に隠れるようにして、こちらを伺っていた。 「この桜のように、変な中のそこかしこに、綺麗なものとか、素晴らしいものが、たくさんあるんですよね――お団子もおいしいし」  結局一口しか食べていなかったお団子を、ひとつ口に運ぶ。 「だから私は、この国が好きです」 「――そうか」  おそらく、彼は笑ったのだと思う。 「はい」  だから、私ももう一度笑い返した。 「……どこか、次の行く予定はあるのかね?」 「あぁー」  お茶を飲んでお互い一息ついたところで、男性に問われる。私はそうなんだよなあ、と考え込む。 「目ぼしいところはもう行っちゃったんですよねえ。もう一年もいるから、だいたいの地理もすっかり覚えちゃったし」 「一年も?」 「はい」  あはは、と照れ笑い。 「春に来て、夏になっていくのを感じたら夏が見たくなって、秋も、冬も……で、今年の桜を見ずに出て行くのもいやだなあ、と思いまして。行きたいところで行けるところはほとんど行きました」 「と言うと、行けないところでも?」 「え、ああ、はい」  なんだかやけに突っ込んでくるなあ、と思いつつ正直に返す。 「やっぱり旅人の身では行けないところ、というか。さすがに間違っても宮廷なんて入れませんし」 「なるほどな」  男性はんー、と軽く考えると、傍らの少年になにやら耳打ちした。少年は弾かれたように動いて、荷物の中から何かを取り出す。どうやら紙と筆だ。 「さらさらさらっと」  口で言いながら紙に何かを書き付けていく。最後にぽん、と判子を押すと、丸めて紐で縛って、 「どうぞ?」  私に手渡した。 「あ、はい、どうも?」  何だろう、と思って見ていると、二人はいつの間にか立ち上がっていた。皿も湯飲みもすでに空だ。 「あ……」 (しまった、また見逃した!) 「それをどう使うかは好きにしたまえ。さて、行くぞ」 「はい」  声をかける間もなく、二人は去っていく。 「む、そうだ」  と、思ったら立ち止まって振り返った。 「お主、名前は?」 「あ、はい。灯萌、です」 「灯萌、か。覚えた。……」  今「多分」って言ったように思うのは気のせいだろうか。 「では灯萌、その紙、使い終わったら返しに来るように」 「は、はい……?」 「ではな」  こうして、花びらの舞う道を、奇妙な二人は去っていった。いくつかの疑問を残して。  残された一枚の紙。返すって、どこへ? (そもそも何が書いてあるんだろう……?)  紐解いて、開かれた紙に書かれていたのは。 「とくべつ、きょかしょお?」 『特別許可書   この者、越前藩国内の移動を制限されることなし           越前藩国藩王  セントラル越前』 「……ぷっ」  へたくそな字と「承認」の判子。それからマヌケな犬のワンポイント。  なるほど、返しに行く先も聞くまでもない。 「参ったなあ」  またひとつ、越前の変なところを見つけてしまった。  それも特大の。  これは、ちょっと、みすみす逃すには面白すぎる気がする。 「……ああ」  そういえばあの二人、お勘定を払っていない気がするのも、これで納得がいった。藩王ならば、そういうこともあるだろう。  すこしぬるくなってしまったお茶を飲む。実際にこの許可書がどの程度の効果を持つのかは知らないけど、一応藩王の承認つきなのだから、行動範囲は増えるだろう。 「じゃあまあ、ひとつ、使わせてもらおうかな」  せっかくもらったのだから、使わなければ損だ。いろいろ回らなくてはならない。桜の時期が終わる前に。  書きかけの見聞録をまとめ、残ったお団子をたいらげる。  そして立ち上がった私は、小さな影が勢いよく駆けてくるのに気づいた。 「すみませ〜〜〜〜〜〜ん!」  さっきの犬耳少年だった。 「お勘定忘れてましたあ〜!」  少年はおばあさんに紙幣を渡すと「お釣りはいりませんので!」とまた駆け戻っていった。  ……まあ、そういうこともあるだろう。 ――3日後  今日も、藩王セントラル越前は、何か忙しい気がするのに何もしていないという、不思議な日常を過ごしていた。走り回るのはもっぱら臣民である。それはそれで正しいとも言えるし、一般的にもよくある話のようにも思える。  しかし、ここに突発的なトラブルが舞い込むのも(藩王が引き起こすのも)よくある話であり、 「藩王様!」  今日もまたそうなのだった。 「んー?」 「お客人が、来られているようなのですが……」 「客? いったい誰かね」 「それが……」 「お邪魔しますね」  側近の人が説明する暇を与えるまでもなく、ずかずかと入り込んでくるのが、私こと灯萌。 「どうも、藩王様」 「む、そなたは……」 「灯萌です」  三秒待っても答えがないので自分で言う。 「そう、灯萌。よくこんなところまで来れたな」 「これがありましたから」  手に持つ紙を突きつける。藩王直筆、承認入りの許可書は想像以上に効果があった。いや、半ば以上強引に通ったわけだけども。 「して、何用かね。挨拶だけというならそれはそれで構わん。なんなら昼飯でも」 「いえ、これを返しに参りました」  と、突きつけた紙をそのまま押し付ける。 「ふむ、もういいのかね?」 「ええ、だいたい回りましたので。ここにも無事入れましたし」 「そうか……」  藩王は心なしかつまらなさそうに、紙を受け取る。 「それは残念だ」 「残念?」 「うむ」  藩王は紙を適当に引き出しにしまうと、本当に残念そうに言った。 「つまりは、この越前にもう見るものがなくなったということであろう?」 「……そう、ですね。一通り見ることができました」 「そうか。では案内をつけよう。国境まで――」 「ですが」  あえて言葉をさえぎり、私は懐から別の紙を取り出すと、藩王の机の上に差し出す。 「一度では見足りませんでしたので」  紙には手書きでこう書いてある。 『国民登録許可書』 「正規の審査を受けると、時間がかかってしまうようなので。お願いできますか、藩王様?」 「……ふっ」 「藩王様!?」  側近の裏返った声も意に介さず、藩王はさらさらと紙に筆で書きつけていく。そして、最後に判子をぺたん。 「これでいいかね」 「どうも」 「は、藩王……いくらなんでも審査もなしに旅人を国民になどと……」 「構わん」  マスク越しにでもわかる、不敵な笑みを浮かべて、藩王は言い放った。 「桜を愛する者であれば、越前の民たる資格は充分だ」 「ありがとうございます」  私は新しい即席の許可書を懐にしまうと、荷物を持ち直した。 「では、私はこれで。次はちゃんと手続きを踏んでお会いしに来ると思います」 「もう行くのかね」 「はい」  窓から外を見る。春風に吹かれて、木々が静かに揺れていた。 「散り際もまた、桜の見ごろですから」  ――こうして、越前にまた一人国民が増えた。  新たな国民は、常に歩き回り、常に何枚もの紙の束を持ち歩いていると言う。  まとめられた束のいちばん上には、こう記してある。  『越前見聞録』と。  そしてその量は、今も増え続けているのである。