『越前藩国の仲良し二人組』というと、とっさに様々な組み合わせが浮かぶと思う。 さて、今回は、そんな様々な仲良しのうちの一組、鴻屋 心太と、クレージュの話である。 年頃も近く、背丈も同じほどのこの少年ふたりは、まぁ心太の入国をクレージュが手伝った経緯もあり、ウマがあったこともあってか、はじめからひどく仲がよかった。 「すまんな〜クレージュ、遅れてしもて」 待合わせによく使う門の端で待ちぼうけているふわふわ耳の戌士の少年が顔を上げる。 足元には、手ぬぐいや巾着が入った木桶。 一方、遅れてきた眼鏡の少年の手にも、色違いで同じような桶が抱えられている。 「仕事だからね、お互い様だし仕方ないよ、気にしないで」 桶を抱き上げながら笑って、2人で足を向けるのは、越前藩国自慢の公共温泉。 そう、年には見合わぬ趣味だが、このふたりはよくこうして待合わせては、温泉に通うのを格別楽しみにしているのだった。 カラコロと下駄を鳴らして、夕暮れ時の温泉街をそぞろ歩く。 1日の終わりのなんとも贅沢な時間。 一枚板に墨痕鮮やかに「越の湯」と書かれた大看板の門をくぐり、苔や竹や玉石が配された風情ある庭を抜けて、湯屋に至る。 番台で巾着から小銭を取り出して、ちゃりんと差し出す。 「おじさま、子供ひとりね」 「おっちゃん、子供ひとりな」 同じ事を言うにも性格がでるふたりの子供は、既に常連さんだ。 「はいよ、上がったら声かけてきな、ボウズども。こんなに通ってくれるんじゃ、たまにはこっちもサービスだ。…あそこン中の好きなの一本ずつ、おごってやるよ」 番台の親父が親指で差すのは、ガラス張りの冷蔵庫。 無論、中身はミルク・コーヒー牛乳・フルーツ牛乳。 すべて紙のフタをされた、瓶入りである。 「わ、ほんとですか?やったぁ〜」 「え、おっちゃん、えぇの?おおきに〜」 はしゃぎながら、下駄を揃え、脱衣場へ向かう。 ロッカーは木製で、鍵は木片に細工をした簡単なもの。 ロッカーと木製にはそれぞれ、いろはの符号がやはり墨で書かれていた。 「あ、クレージュの『く』がない」 「心太の『し』の字も使用中やなぁ…やっぱ少し遅れたからやな」 そこで2人が選んだのは、『わ』と『ん』。 これならば、ロッカーの場所も近いし、なにせ『わんわん』と語呂がいい。 「今日はずいぶん埃まみれになったから、はやく流しちゃいたいよ」 「あぁ、なんや藩王屋敷が半壊したっていうアレの片付け?」 「うん、それそれ」 「佐倉様もあれやなぁ…キレると怖いお人やってのはよく分かった。現場はみてないけど」 「そうだねぇ…ちょっとした災害現場並の惨状だったかな、うん」 話しながら、腰に巻くタオルとは別に、クレージュがさらりと薄手の布を裸の肩に羽織る。 心太は、眼鏡を外して少女めいた容貌をさらしながら 、ちらりと横目でそれを見やった。 (こいつ、絶対ヒトに背中見せへんのな…もー慣れたけど) 眼鏡を外してやや輪郭のぼやけた視界には、肩にかかるふわふわの髪と色の白い背と、それよりさらに白い布。 背の半ば辺りまでを覆っているそれを、最初は体型を気にする女の照れのようだとからかったこともあった。 『あは、残念。そーいうんじゃないんだ』と笑って答えたクレージュの笑みがひどく痛々しかったので、心太はそれ以来、そのことに触れるのをやめたのだが。 「どしたの?心太」 「あぁ、いや、なんでもない」 つい手が止まっていたのを指摘されて、慌てて服を脱ぐ。 「ん、お待たせ」 くもり硝子と木枠でできた扉を開くと、湯の香りと湿度の高い温い空気が身を包む。 まずは屋内の湯殿へ。 明度を落としたオレンジの光が湯気にけぶる、独特の空間。 ざぁざぁと豊富な湯量を誇る温泉が、尽きることなくあふれだす音がする。 「はぁ〜…きもちえぇ…」 「極楽極楽、…わふ〜」 頭に手ぬぐいを乗せた子供ふたりが、肩まで湯に沈みながら溶けたような声をあげる。 まさに至福。 しかし、それでも湯はしばらくするとだんだん熱くなってきて、子供たちを外湯へと誘うのだ。 外湯と内湯を隔てる木の扉を開くと、湯気の気配と冷えた風。 「う、さむっ」 「さっむ〜いぃ〜」 早く湯に浸かりたくて走りそうになるのを我慢して、2人は行儀よく足早に歩いた。 『藩王の臣下として仕える者は、いかなる時もそれを忘れてはなりません』 手ずからのお茶を淹れてくれながら2人にそう言ったwishおねぇさまの言いつけを、ちゃんと守っているのである。 …おねぇさまのオリジナルブレンドティーをもう一度頂くくらいなら、行儀を守るくらい簡単なものだ。 露天は、岩を敷き並べた野趣あふれる岩風呂。 そして、湯の滝と湯溜まりを配置した川の流れ。 滝に近いものほど湯温は高いが、湧き口があちこちに顔を出しているため、一番端の湯溜まりに浸かってもぬるすぎるということはない。 「この時間なら、一番端だよね」 湯溜まりの配置は、その場所によって見える景色がまったく異なる。 そして、崖の上に張り出した、湯の川の流れが滝になり溢れ落ちる湯溜まりから見える景色は、 少し遠くに海までを見通せるパノラマの落日。 「きれーやなぁ…」 「うん…きもちいいよねぇ…」 幾度見ても息を飲むほど美しい夕焼けと、耳を潤す心地よい湯滝の音、吹きわたる風が頬をなでる。 ちなみにこの場所は、夏に行われる『越前大花火』の折は特等席のひとつでもある。 大きな湯溜まりを柵で仕切って男女に分けているため、同じ景色を共有できるていう理由から、実はカップルにも人気があるというのは、余談であるが。 「さて…髪洗わなきゃね」 「あ、そやな」 夕焼けに間に合いたくて後回しにした髪を洗うために立ち上がるクレージュが、ごく自然な動作で羽織った布を取る。 だから、はじめは心太も気づかなかった。 「っ、…て…これ…」 白い背に、抉るように刻まれたふたつの大きな酷い傷痕。 思わず、心太の足が止まる。 「なんか、今日はちょっと雰囲気ちゃうなって思ってたけど…どないした?クレージュ」 眼鏡がないから、ぼやけた姿が見えないのが口惜しい気持ちで、クレージュの背に心太は問うた。 心太がぼやけた視界しかないのをわかったうえで、クレージュがそうしてるのがわかったから。 「うん。まぁ、『何か』はあったけど…悪いことじゃないよ、安心して?…驚かせてごめんね、心太。でも、大丈夫だよ、これは古い傷だから、もう痛くはないんだ」 湯に濡れそぼったクレージュのしっぽが、タオルの陰ですこしも動かないから、見せる事に躊躇があったのは見てとれた。 肩越しに振り返るクレージュは、たぶん笑顔だ。 少し困ったような笑顔、そんな声だと聞き取って、心太は、それならばと笑みを返す。 「そーか、痛くないんならええわ。じゃ、髪洗っちゃおうや」 片手に手桶、そしてもう片手にクレージュの手をとって、心太は笑ってみせた。 「うん、そうだね」 クレージュも笑って、心太の手を握り返した。 すっかりぽかぽかと温まった体を、藍色の星空に冷やされはじめた風がなでていく。 湯川の脇を歩きながら、ふと心太が思い出す。 「さっきのセリフ、最近どっかで聞いたよーな…」 クレージュがくすくすと笑い、しっぽが軽く揺れる。 「うん、…実は拝借した」 「だれやったっけ?」 気になる心太に、クレージュはただ笑うだけだ。 「気になるってば」 「著作権に抵触しますのでダメでございますよ〜」 「セリフに著作権もないやろ?」 そんな言い合いをしながら、はしゃぐ子供がふたり、笑いあう。 そんなふたりが湯屋から出てくる頃には、大きな月が夜道を照らす頃だ。 おっと、 その前に、忘れちゃいけない。 「おっちゃ〜ん、ぼく牛乳がいい〜」 「僕はコーヒー牛乳で」 「お〜、忘れてなかったがボウズども!」 番台のオヤジがいかつい笑みで差し出す冷たい瓶を、腰に手を当てて一気に飲み干す。 至福、ここに極まれり。 越前の湯は、幸せの湯でありまする。 <了>